今回の記事では、M&Aに携わってきた私自身のことをお話しします。
私が初めてエクイティに携わったのは、今から20年以上前、大学を出て最初に就職した会社、大和証券です。
野村證券に次ぐ業界2位の大手といわれていますが、要するに、曲がりなりにもエクイティのプロとして社会人デビューをした元証券マンです。
しかし私が入社してからというもの、日経平均は完全に右肩下がりで急降下を続けていました。
何を買っても損失ばかりが膨らむマーケットは資金運用の場として魅力を失い続け、そしてそれがデフレスパイラルに陥り、株価は更に下がり続けます。
いわゆる「失われた20年」でしたが、そんな中、2017年も年の瀬の声が聞こえ始めた頃に、とてもノスタルジックなニュースを耳にしました。
「株価、1996年12月以来、20年10ヶ月ぶりの高値」
1996年はまさに私が大和証券に入社した年。
希望に満ちた23歳の世間知らずの若者が一生懸命売っていた相場が、20年以上の時を経て回復してきたのです。
早い話が、この20年の証券市場はこれほどまでに、非常に厳しい環境であったといえます。
話は戻りますが、そんな環境のなか、元々IPO(株式の新規上場)を中心とした仕事に携わりたいと思っていた私の忍耐も、そう長くは続きませんでした。
証券営業の現場は、ホールセール(法人・機関投資家向け営業)の仕事も僅かにあるとはいえ、ほとんどがリテール(個人)向けの営業でした。
若さもあって数年ほど修行をした後、早々に大和証券を退社。
その後いくつかの会社でCFO(最高財務責任者)のポジションに就き、役員を経験してきました。
それらの会社では、元証券マンとしての知見をフルに活かすことができ、IPOに向け様々な資金調達に携わる事ができました。
業績が伸びている会社では、いくつかの事業を買収することにも成功しましたが、一方で、会社が立ち行かなくなり、極めて深刻な経営状態の中で事業売却を主導する立場に立ったこともあります。
結果として私は1億円以下のスモールディール、10億円以下のミドルレンジ、10億円を超えるやや大きめのディールの全てで、M&Aに携わる経験値を得てきました。
やはり、証券マンとして「他人の」M&Aに携わることとは全く違い、「当事者」として億単位の交渉をする緊迫感のある現場は、経験したものでないとわからない独特の雰囲気があります。
自分の会社の生き死にや会社の再建がかかっている事業売却では、どのようにして納得できる回答を引き出す事ができるのか――。
CFOの立ち居振る舞い一つで数億円の回答がガラリと変わることもあるため、その交渉はつねに緊張の連続でした。
次の記事からは、そんな立場での経験談を元にした、M&Aに携わるうえでの教訓をまとめています。多少の偏りもあるかと思いますが、その辺りはエッセンスを回収しつつ、ひとつのストーリーとして読んでいただければ幸いです。
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【ストーリー】売却価格を○倍に!! 事業売却(M&A)担当役員の孤軍奮闘記
はじめから記事を読む場合はこちら第1話 【ストーリー】売却価格を○倍に!! 事業売却(M&A)担当役員の孤軍奮闘記
第2話 当事者としてM&Aを経験してきた私
第3話 売り手側は「足元を見られている」!!
第4話 「専任仲介条項」の落とし穴
第5話 やはり交渉決裂、次の一手は……
第6話 テーブルに乗せるのは「利益水準」だけではない!
第7話 レア感を材料に交渉のカードを切りまくる
第8話 最高の事業売却(M&A)を実現するために疑った2つのこと
第9話 【さいごに】事業売却(M&A)における成功!とは