非常に弱い立場から始まった交渉。
結論から言うと、この時は厳しい現実そのままに、全く歯が立ちませんでした。
というよりも、交渉材料になるようなものが何一つ無く、売り手側の担当役員である私も、正直言われるままの作業者にしかなり得なかったのです。
当所私は、単に事業の売却だけでなく、ベンチャー要素の強い、手元に残す事業に関するアライアンスも含めて、包括的なM&Aを進める構想を描いていました。
手元に残す事業はまだ赤字とはいえ、先進的な分野で一定の実績を残し、魅力あるノウハウを積み上げている状況。その横展開の一つとして、M&Aを通じ関係を深めた同業他社とより親密にベンチャー部門の事業をシェアすることで、少しでも「どうしてもこの会社と関わりを持ちたい」と思わせ、結果として売却する事業の価値を高められると考えていたのです。
しかし買い手にとっては、そんなことは二の次です。
まずは目の前の年商40億円の事業を買収するかどうかをじっくりと見極め、できる限り安く買い叩き、さらにあわよくば本体の方にも影響力を残そうと考えているのです。
そのためには、本体が必要以上に元気にならないようにすることが肝心。
早い話が、アライアンスの話などこの段階で交渉する価値も聞く価値もないということです。
そして言われるままに事業所に案内をし、財務諸表を出し、聞かれたことにだけ回答するという、フラストレーションが溜まる日々を過ごしました。
そんなある日、東京から大阪に来ていた先方の交渉担当者が、大阪に所在する幾つかの会社の視察に行きたいと申し入れてきたのです。それらの会社は当社の取引先でしたが、M&Aには直接関係があるとは思えない仕入先ばかり。
しかし、M&Aに関する調査の一環(取引先の調査)などと理由をつけられれば断れるものではなく、そして従業員にそんな案内をさせる訳にはもちろんいきません。
私は自分で車を運転し、先方が言うままに近畿の各府県に所在するいくつかの取引先を案内し、どうでもいいようなくだらない会話に付き合わされる羽目になりました。
そのあと、先方の大阪支社で少し交渉をしたいと言われ、上から下まで、全く不必要と思える会社案内をされました。
そして最後にビルの玄関ホールで、「ここに貴社のネームプレートを入れるつもりです、どうですか、いい場所でしょう」と、本人に悪気はないのでしょうが、全く意図が理解できないセリフで締められ、嫌な汗をかきまくったストレスフルな一日が終わったのです。
ちなみにこの先方の担当者は当該部署の次長クラスであり、部長ですらありませんでした。
もっと後の話になりますが、ビット(入札)によるM&Aで売却話を進めていた際には、交渉に際し私のカウンターパートとなったのは先方の専務取締役。
知らない人はまずいない、業界では日本を代表する一部上場企業ですが、年商40億円程度の事業買収にも、専務自らが私の交渉相手として参加してきたのです。
このことは、裏を返せば、それほどまでにどうしても「この会社が欲しい」と思わせることに成功した何よりの証拠ですが、前回の記事でお話しした「専任仲介条項」を受け入れた際の、あえて言葉を選ばずに言わせてもらうと「ただのサラリーマン」をカウンターパートに持ってきた会社との違いがおわかり頂けるのではないでしょうか。
そしてこのサラリーマンは、交渉相手を運転手にして、相手の時間やコストに対する敬意などまるで払おうとしない数々の言動を見せました。
さらに、事後のアライアンスなどといった大きな話には全く興味を示さず、自分の仕事だけを終わらせることにのみ最後まで興味を持ち続けたのです。
詳しくは後の記事でお話ししますが、専務取締役が出てきた会社とは、「事業売却」はオマケのようなものになり、むしろその後の大きな「包括的な事業提携」の話のほうがメインの交渉になったほどでした。
これほどまでに違いがでるのです。
つまり、入り口で対応を誤ると事業売却は悲惨な結果に終わることになるといっても過言ではありません。
結局、この時の交渉はどのような結末になったのか、というオチですが……
先方は、買収価額として2.2億円という極めて不本意な最終価額を提示し、これ以上の価額は一切出せないという強気の交渉をしてきたのです。
経常利益で1億円を出している安定的な事業。いくら未上場の会社であるとはいえ、既にDD(デュー・デリジェンス:事業の精査)も終えリスク要因を排除した上での状況を考えると、理不尽ともいえる提示でした。
単純に、税引き後で6,000万円残るとして、PER(株価収益率)では4倍に満たない提示です。
正直、未上場であり足元を見られている環境では、妥当であると言えなくもない数字ではありましたが、当社はそれに対して、3.0億円を要求しました。
経営再建上どうしても必要な最低限の、ギリギリの数字だったのですが、先方はこの提示に対し一切の交渉をすること無く、直ちにM&Aから降りてしまいました。
双方に非常に大きなコストと時間がかかり、ストレスフルな日々を過ごしただけで、何一つ結果が残らない結末となってしまいました。いや、正確にいうと当社の現預金はさらに溶け続け、デッドエンドまでの時計が大きく進んだだけの結果に終わったと言うべきでしょう。
私は激しい徒労感と失望感を感じましたが、それでもこのような危機に際して、CFOが下を向いているわけにはいきません。
いやむしろ、専任仲介という全く理不尽な契約を呑まされて交渉を続けてきた、その足かせが外れたチャンスと捉えるべきなのです。
私はすぐに気持ちを切り替え、早速アポを申し入れてきた仲介業者A社の担当者と会うことにしたのです。
「今回のことは残念な結果になりました。つきましては、別に貴社に興味を持っている候補が既にいますので、早速話を進めてきましょう、貴社には時間も残されていませんので。」
「その前に確認があります。その仲介は専任仲介を外して下さい。」
「それはできません、M&Aでは専任仲介を受け入れて頂かないと、当社では話を進めることができない決まりになっています。」
「じゃあ降りて下さい。」
「・・・いいのですか?」
「結構です、この状況ではビット(入札)で話を進めることが売り手と買い手、双方の利益になります。原則から外れるような交渉の進め方は間違っています。なお別に、株主系のB社が既に、専任仲介条項無しでのディールに応じる意向を示してくれています。」
「わかりました、それでは一旦持ち帰りますが、今回は手を引くことになると思います。ちなみに社長さんは了解されているのですか?」
「了解しています、というより、私がそう決めたのでそれが社長の意思です。会社に帰ったら上司にそう伝えて下さい。」
正直この時の会話は、私にはちょっとした賭けであり、確信があってのハッタリでした。
おそらくA社はここで降りないだろうという言う確信です。
なぜなら既に、A社は骨折り損の仲介の失敗で持ち出しコストが嵩んでいるからです。
なおかつ私が名前を出した別のM&A仲介業者Bは、確かに株主系の会社ですが、A社に比べて規模も実績も乏しく、ビットになるほどのまともな会社は連れてこられないのではないか――。
A社はおそらくそのように判断してビットでも戻ってくる可能性が高いと考えた上で、突き放してみたのです。
そして結果として、A社は本当に戻ってきました。
「候補先企業から、ビットで交渉に臨んでも良いという同意が得られました」と精一杯の言い訳を伝えてきましたが、そのようにリードしたのはA社の主導で間違いないでしょう。
このようにして私は、今度こそ「買い手と対等の立ち位置を確保する事業売却」の入り口に立つことに成功したのです。
この時に私が確保したものについて、わかりやすくお話してみます。
まず1つは、「当社に興味がある」と考える複数の買収先。
そして複数の候補先、つまりライバルがいることは、お互いの会社も知っています。
要するに、少しでも当社の買収に魅力を感じたら、競い合う関係を作れたということです。
このようにして、(あとは私のCFOとしての交渉能力次第ですが)「どうしても買いたい」という買い手の気持ちを引き出すことができれば、「どうしても売りたい」という当社との立場は完全にイコールになります。
さらに、ビットである以上、交渉時期のエンドを決めることも可能になります。
専任仲介では、たった1社しかない交渉相手の顔色をうかがうことになり、話を引き伸ばされ、デッドエンドを意識することそのものが不利な交渉材料にもなりえるのですが、そのようなことも無くなります。つまり、交渉期間の設定も、当社主導で行うことができるのです。
更に大きなことは、手元に残る本体事業とのアライアンス。
「どうしても当社が欲しい」という思いを十分に引き出すことができれば、本体とのアライアンスも十分な交渉材料としてテーブルに乗せることができるはずです。
かくして、やっとまともな交渉環境に立った上で、本当の事業売却に臨む事が可能となったわけです。
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【ストーリー】売却価格を○倍に!! 事業売却(M&A)担当役員の孤軍奮闘記
はじめから記事を読む場合はこちら第1話 【ストーリー】売却価格を○倍に!! 事業売却(M&A)担当役員の孤軍奮闘記
第2話 当事者としてM&Aを経験してきた私
第3話 売り手側は「足元を見られている」!!
第4話 「専任仲介条項」の落とし穴
第5話 やはり交渉決裂、次の一手は……
第6話 テーブルに乗せるのは「利益水準」だけではない!
第7話 レア感を材料に交渉のカードを切りまくる
第8話 最高の事業売却(M&A)を実現するために疑った2つのこと
第9話 【さいごに】事業売却(M&A)における成功!とは